犬と楽しい暮らし

 音楽にも民族の性格が顕著なのは自然だが、その自然なものを扱う手法には、種々の不自然さが生じているのが現代社会の一つの悩みであり、課題でもある。この間の「悲愴」の美しさから思いめぐらしても、音楽にある民族的な特性というものを、音楽の外からの解釈や説明でつけ加えても、それが芸術音楽としての内在的な充実感となって来ないということは、しみじみわかる。そしてまた、音そのものの記号の上にだけ民族的特徴をとらえたとして、それの羅列で作ったところで、やはり流動する生命のリズムとしての民族性は人の心をうつものたり得ないことが実感されたのも興味ふかかった。文学は、文字でかかれつつ文字の上にだけその生気をとらえているのでなくて、むしろ、文字から文字へのうつりの底に、流れ動き脈うつ芸術性を湛えている。音楽の日本的な要素のことがいろいろ問題になっているが、私たちにとって関心をひかれる点は、やはり、この音の記号の上での日本らしさの試みが、どのように音の流れそのものの生命が語る日本らしいものに成熟させられてゆくかということでないだろうか。
 日本独特の日本らしいものというとき、今日の日本らしさが、どんな風に音楽には生かされてゆくものだろうかということも、難しくてしかも避けられない芸術家への課題だと思われる。
 いろんなそんなことを考えているとき、中央公論社から出している現代世界文学叢書の一冊の「黄金の仔牛」を読んだ。これはソヴェトの諷刺小説で、以前「十二の椅子」という諷刺小説を書いたイリフ、ペトロフ合作の長篇である。ジャーナリスト出身のペトロフが素材をあつめることを主に働き、詩人であるイリフが作品として書きあげてゆくという、新しい仕事ぶりで七年ほど前に完成された作品である。

 現在の、特に日本の、不調和な社会状態のうちに生活しているわれわれ、殊に、外部的交渉をおおく持つ男性が、心的、物質的に疲労しているということは、否めない一つの事実でしょう。不安定は、一般の経済状態を考えただけで、勤労と休息とのつり合が、如何程まで破れているかあきらかだと思います。これに対して、物価調節、各家庭に対する節約宣伝のような、やや消極的方面の問題、また積極的には女性の自給自立、労銀等の問題から、根本に近い、社会主義上の諸問題が、惹起されます。これ等は、おもに流動する貨幣のみちびきかた、適当な配分を考究して、金によって支配される、生活に必須な物質方面から、人間生活を正当なものに落ち付けて行こうとするのではないでしょうか。けれども、私が、深く疑問に思うことは、それ等の諸問題が学理的に解決されただけで、男性のみならず、総て、現代の人間が持つ、疲労、浅い精神の活動状態が、恢復されるかどうか、という点です。言をかえていえば、それ等社会学、経済学的原則が実行に移されようとする時、乾坤一擲、新たな生命を以て、しんからうまれ変らなければならない根性が、人間の、人生に向かう態度のうちにあるのではないだろうか。その根性がある為に、時代から時代へと、今日まで社会の状態は不自然になり、自己の無反省な慾望の築き上げた塔に、かえって、今幽閉されることになったのではないか、と思うのです。なぜなら、昔から、人類がやっと文字を発明した時代から、真個に人間の生きている意味、子から子へと絶えない愛を以てまもり、懐きあこがれる、真理の追求の為に、身を捧げて人生に対した少数の人々は、決して、「わたしは人生につかれた、暮しがつらい」とはいいませんでした。

 白いところに黒い大きい字でヴェルダンと書いたステーションへ降りた。あたりは実に森閑としていて、晩い秋のおだやかな小春日和のぬくもりが四辺の沈黙と白いステーションの建物とをつつんでいる。
 ステーション前のホテルのなかも物音がなくてカーテンのかげに喪服の婦人の姿があるばかりである。
 人通りというものも殆どない。明るい廃墟の市の午後の街上を疾走するのは我々をのせた自動車ぎりであった。ソンムとヴェルダンとはヨーロッパ大戦を通じて最も激しい犠牲の多かった北部フランスの古戦場なのである。
 ヴェルダン市の市役所のあったところ、大病院のあったところ、学校。それらは今日全くの廃跡である。いくらか残っている石の土台。迫持の柱。静かな秋の日ざしのなかにそれらのものが寂しくくっきりと立っていて、ぽかんとあいている天井のない窓のところに空はひとしお青く見えている。白地に黒で簡潔に市役所と書いた札が立てられているのである。ほかに見物人もない廃墟の間を歩いていると、自分たちの声が遠いところまで反響してゆくのがわかる。
 もとの市中をぬけると、砲台のあったぐるりの山々までいかにも打ちひらいた眺望である。数哩へだたった山々はゆるやかな起伏をもってうっすりと、あったまった大気の中に連っているのであるが、昔山々と市街との間をつないでいた村落や田園は片影をとどめない。
 今日あるものは、満目の白い十字の墓標である。幾万をもって数えられるかと思う白い墓標は、その土の下に埋った若者たちがまだ兵卒の服を着て銃を肩に笑ったり、苦しんだりしていたとき、号令に従って整列したように、白い不動の低い林となって列から列へと並んでいる。襟に真鍮の番号をつけられていたそのとおり、墓標にも第一に目につくように黒々と番号が記されてある。あたりには花も樹もない。何とも云えぬ悲しい清潔な白い十字の林を、フランスの芳醇な秋の空気がつつんでいるのである。